いまから30数年前、1986年に私は東京工芸大学へ写真を学ぶために入学した。高校生の頃、写真部に入っていたわけでも、カメラに詳しかったわけでもない。父親が趣味で写真をやっていて、たまたま父が買って来たカメラ雑誌を目にした程度で、ほぼ思いつきに近かった。高校の進路指導の先生に「カメラマンになりたい」と告げると「それはどうやってなるんだ?」と逆に聞かれ、2人で無言になったことをよくおぼえている。

 当時はいまとは違って短期大学で、私が入ったのは写真技術科といった。現在の写真学科の前身にあたる。その10年ほど前までは東京写真大学という名前で、先生も先輩もあたり前のように「写大」と呼んでいた。

 校舎は新しいとはいえず、それにいまと比べたらかなりこじんまりとしていた。牧歌的といってもいい。デジタルカメラはなく(もちろんスマホも)、基本はモノクロのフィルムと印画紙だった。だからあちこちに暗室があり、油断すると酢酸の匂いが鼻をついた。モノクロフィルムに触ったこともなかった自分にとって、その匂いは驚きだったが、ある時から妙に安心するものへと変わっていった。

 構内では多くの者が暗室用の白衣を着ていたり、首からカメラをアクセサリーみたいにいつもぶら下げていた。夜、寝る時には「枕元にカメラを必ず置いている」と真顔でいう者もいた。確かに当時、カメラとはそんな存在だった。

 私にとって入学したときの一番の心配は友達ができるだろうか?というものだった。故郷を抜け出し、東京に行って友達ができるだけで十分だった。というのは高校生の頃、友達が極端に少なかったからだ。帰宅部だったこともあり、自分で自分のことを「オレってかなりいけてない」という自覚だけは十分にあった。

 当初は周りの友達が喋っている写真の言葉があまりに理解できず、随分と場違いなところへ来てしまった気がした。一年生の秋には急に写真がつまらなく思え、学校をやめようとしたこともあった。

 でも不安は杞憂に終わり、多くの友達ができた。次第に写真も学生生活も楽しくなり、いつしか報道写真部というサークル活動にも積極的になっている自分がいた。高校生の自分がいまの自分を目にしたら、まるで違う人格の人間がいると思っただろう。それほどまでに劇的な変化だった。人って、人生って、わからないものだなあと18歳ながら初めて思った。

 もし高校生の続きのまま人生を歩んでいたとしたら、それはそれでありだけど、ずいぶんと退屈で味気ないものになったような気がしないでもない。少なからず、自分はあのとき救われたという思いがある。

 卒業してから10年ほど後、その日々のことを題材に『写真学生』(集英社文庫)という小説を書いた。8割くらいは本当にあったことだ。期待、不安、恋愛、そして失恋…いってみればどこにでもありそうで、誰にでも起こりうる青春物語だ。何度か映画化の話も舞い込んだが、結局実現することはなかった。理由は「平凡すぎ、何も起きなすぎ」で、それが二の足を踏ませたようだ。

 卒業してからは工芸大とはほとんど無縁の生活を送っていたが10年ほどたった頃から、一年に一度くらい学生を前に喋る機会をいただくようになった。喋ったあとに必ず「わたしの作品を見てください」と声をかけてくる学生がいた。誰もが緊張し真剣な面持ちをしていた。だから私も真剣に見た。すると、かつての同級生たちの作品や姿を不思議と思い出した。時代が変わっても、何も変わらないことに気がついた。

 いまから8年ほど前から週2日ほど工芸大で教えるようになった。学生と日常的に接するようになって最初に驚いたのは、誰も白衣を着ておらず、それにずいぶんとお洒落なことだった。まさに「大学生だ」と思った。ひとつだけ残念だったのは、カメラを首からぶら下げている学生の姿がほぼ消えていたことだ。

 そして3年前から専任になった。卒業してからちょうど30年がたっていた。このとき、もう一度、入学するような心境になった。教えた経験がほとんどなく、自分が新米だからということもあっただろう。長いあいだフリーランスの写真家、文章を書く作家としてすごしていたから、その気質が抜けることがない。それもあって急に別世界に降り立ったような心持ちにもなった。

 教えることに自分が向いていると思ったことはいまもほぼないが、それでもここにいるのは写真を学んでいる若者が好きだからだ。そのことだけは自信をもっていえる。世の中全般の若者が好きか?と問われたら、すぐにうなずく自信はないのだけど、写真を学んでいる若者たちのことは無性に好きだ。

 おそらく、かつての自分や友人たちの姿を見ている気持ちになるからだろう。残念ながら写真にはあらかじめ準備された答えはどこにもなく、みずから作り出さなくてはいけない。だからつねに孤独がついてまわる。このことは学生もプロも関係なく同等だ。だから、若くしてそれに向き合っている姿を美しいと感じる瞬間がある。わざわざリスクの高い世界へ飛び込んで来たことへの覚悟を見る瞬間でもある。

 学生が作る作品にハッとさせられる場面も多い。特に4年生の卒業制作では学生とその作品との関わりはより深くなるからだ。半分自分の作品のように感じることもある。ただ、それは客観視できていないという意味において危ういことで、できるだけそう思わないように意識したりもする。

 技術的には未熟ではあっても、発想と行動に度肝を抜かされることもある。そんなとき立場は瞬時に逆転する。言葉にすることはないが、ひそかに学生が自分にとって先生のように映りだす。自分は新入生のような不安な気持ちになる。そして写真というものがますますわからなくなっていく。すると何故かワクワクする。そんなときに学生に意見を求められても、正直に「オレにもほんと、わからないんだよ」と答えることにしている。

 現在、私の仕事場の机の前には一枚の小さな便箋がお札のように貼ってある。数年前にゼミの卒業生が写真集を出版し、送ってくれた際に同封されていた手紙だ。

 「学生時代にはたくさんのご指導をありがとうございました。先生や仲間と写真の話をするのが本当に楽しかったです」

 たったそれだけの短い文面なのに、読むたびにさまざまなことがよみがえる。確かに写真から始まるたくさんのことをみんなで話した記憶がある。写真を語ることは被写体について語ることであり、身近であればあるほど、時に生きる上での根幹に触れることになる。だから、誰もがより真摯で誠実だったのだろう。

 一方で、あの日々を「本当に楽しかった」と思っていたことを意外にも新鮮にも感じる。そのあとで、確かに自分もまた30年前の「平凡すぎ、何も起きなすぎ」の日々に同じような感情を抱いていたことに気がつく。

小林 紀晴 / 芸術学部 写真学科 教授

20代からアジアを中心に旅し、作品を制作。同時に執筆活動も開始する。これまでの著書は50冊ほど。20年余りのフリーランスフォトグラファーとしての活動を経て、2013年から母校で写真教育に携わる。

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